黒い川を渡り、軋み鳴く桟橋を踏み、荒れ果てた大きな家の横を歩く。ゆるやかな坂を覆う石畳を上質の革靴で鳴らし、それはまるで往古の優雅にも似ていた。そういう仕種が似合う男だった。死んだ木々の枝がひびのように灰色の空を割り、ほうぼうへと伸びている、その下を、エマニュエルはまだ美しい木漏れ日の散歩のように軽い足取りで瀟洒に歩いていた。空から落ちてくる水がエマニュエルの肌を侵したが、彼は構うそぶりも見せず、ただ目的の場所へと向かって坂を登り続けた。そう歩かぬうちに、やがて、一つの小さな家が見えてくる。路を家にはさまれた住宅街のいっとう奥に、その家はあった。往時には白い雪のような屋根をかむっていただろうそれは老人の白髪のような灰色になり果て、庭のそこらじゅうにある花壇はどす黒い土を抱いていた。そこがエマニュエルの目的地であった。
崩れた石畳を踏みにじりながら、エマニュエルは門扉にもたれかかり、葉巻を取り出すとそれを咥え、待ち人を望むように空に向かって煙を吐いた。苦くも甘くもない薬のにおいが喉をとおって胸に落ちた。エマニュエルが人を待っているというのはある種では本当だった。その人が汚染された土の上に裸足をさらし、療養所の簡素な貫頭衣をまとっているのでなければ、エマニュエルはまるで恋人を待つ寛容な男のようにも思われた。
エマニュエルは朝と昼ともわからない薄暗い空をしばらく眺めていたが、飽いて、葉巻を地面に落とし靴のかかとで踏んで、庭先にいる人に顔を向けた。
「フィニ」と、彼はことさらにやわらげな声で呼びかけた。大切な花を育てているかのように泥水をどぼどぼと何もない土にやりながら、エマニュエルのことなど目に入らない様子で歩き回っていた男は、名を呼ばれるやいなや、ゆっくりと顔をめぐらし、エマニュエルのほうを見た。
どよりと不透明な薄青の目が彼を判じるように動く。エマニュエルを見つけたことで力の抜けた手に、淡い色のジョウロがひっかかり、垂れ流されるままになった濁水が、毒が回り腐った地面をえぐり続けた。ジョウロのなかみがすっかりなくなったころ、彼はようやく審判を終わらし、表情に幼児的な笑みをすこしだけのせた。
エマ、とささくれた唇が、教えられた単語をくりかえすように言った。エマニュエルは歩き出し、――実のところ、その家の門扉をまたぐことをエマニュエルは好んではいなかったが――フィニの頬に触れた。病的な青白さに、今はもうエマニュエルの知っていた幼い赤色はにじんでいなかった。
肉をつぶしたような音を立ててジョウロが土に落とされた。フィニはみずから手放したそれに見向きもせず、裸足をもじもじと泥にくゆらせ、従順なありさまでエマニュエルの言葉を待っているようにも見えた。
「フィニ」と、エマニュエルはもう一度彼の名を呼んでやった。これも、低い声でやさしげに。フィニの指は貫頭衣をたぐりよせたりひっぱったりしながら、じっとエマニュエルの喉が動くのを見ていた。 エマニュエルはフィニの頬に触れていた手をゆっくりとくだらせ、首に指を添わせ、親指でそっとフィニのちいさなのどぼとけをさすった。「おまえ、また抜け出したのか。なあ、俺が許さないかぎり、部屋から出るなと言ったろう?」
ぼんやりとした瞳はなにも返さない。汚染された世界の中でこの男の瞳だけが空の色をしていた。すっかり細くなったからだはまるで夢見るようにうつろな足取りで、エマニュエルの胸にもたれかかるそのさまは、弱りきった子どものようでもあり、夜に巣くう街娼のようでもあった。
エマニュエルはそれをのぞきこみながら、もうひとつの手で肩をさわり、腰を抱き、焼けつく喉を寄せてフィニの耳元にささやいた。
「ほら、また足に石が刺さってる。いたわれよ。おまえを抱くのは俺なんだから」
フィニを抱き寄せているうちに、エマニュエルはだんだんと喉の熱さがひどくなるのを感じていた。薔薇の名を冠した毒によって汚染された外気が、棘でかきむしるように喉を焼くのだった。きっと肺まで届いていた。
それにもかかわらず、エマニュエルの動きは緩慢だった。あるミサの朝のような、夜半の暖炉の前のような、遠い湖畔のふちのような……そうしてフィニの背をいつくしむように、あるいは叱りつけるように撫でていると、彼はこう言った。
「小さなからだの小鳥が死んで、ああ、小鳥は、俺のせいで、飛べなかったから、籠を、俺は開けてやらなかったから、それで、死んでしまって、それで」
歌うような不明瞭さがあった。エマニュエルはかすかに舌を打った。それで、この子供がエマニュエルの手のひらから溶け出して、零れ落ちようとするように、壊れていたことを思い出した。
それは愚かしい家族のままごとだった。彼の妹役を演じて、最後にはみずからのこともわからないままにあっけなく即死した娘は、フィニの魂というものをいともたやすく粉々にして、はんぶんを持って行ってしまったのだと、エマニュエルは思っていた。そのはんぶんは、いくら探しても見つかりそうになかった。汚染された娘のばかばかしくなるほどにちいさな死体をかき抱こうとしたフィニを待っていたのは、慟哭と、彼の腑が吐き出した彼自身の血というそれだけだったから、理性的な鬼哭隊士に引き離され、まったく大人びて諫める言葉をつきつけられた彼の顔を、だれも見ようとはしなかった。エマニュエルだけがそれをうしろでずっと見ていた。そして、手を差し伸べた。そのときの彼の目のあやしいことといったらない。怯えとも、ほほえみとも懇願ともつかないものに塗りつぶされた瞳が、エマニュエルにすがったことだけはたしかだった。それで、エマニュエルは都市からはなれた森のさらに端、クォーリーミルをのぞむ沢の外れに家を買った。死と精霊のうずまくささやきが絶えずエマニュエルの頭にながれこむそこは、ひどくうるさく、静かで、彼らのみじめな終わりにぴったりだとでも思ったのだろうか。失った子供のかいだ海の汐のにおいを手放し、風の透きとおる高原はすでになく、フィニの魂をしばった森が、ふたたびエマニュエルを手招いた。
「――帰るぞ」
エマニュエルは、ぼうとしているフィニの手を強くひいた。もつれた足が石畳にたたらを踏む。荒れ果てた庭に、小ぶりのジョウロだけが残されて、エマニュエルたちを見送った。もう二度とここには来ないだろうとエマニュエルはつよく思った。あるいは『はんぶん』が見つかればいいと考えていたが、子供はもうどうしようもないほど壊れていて、永久に死者の夢を見るだけだった。そうであるならば、そうであるならば――エマニュエルはかつて果たせなかった彼の唯一の失態をぬぐうだけであった。
彼らの棲み処についたころには、フィニの裸足は小石に引き裂かれ、泥を吸い赤く膿んでいた。日が沈みかけた森は暗く、穴ぐらのようだった。 エマニュエルはカンテラに火を灯すと扉の横にかけ、へやの中のいくつかのランプに同様に火を灯してまわった。そのあいだ、フィニは彼のあとをついて回ったり、所在なさげに立ちすくんだりしていた。
「ベッドで待ってろ。床に血がつくだろう」
「あ、……はい、エマ」
彼は白いベッドに腰を掛けて背を丸めた。しばらく経ったのち、エマニュエルは彼のそばにひざまずき、白い足を手のひらにのせた。気味の悪い精霊がまとわりつく気配がした。その触手がフィニの足にふれるより先に、エマニュエルは治癒魔法をつぶやいた。傷だらけで赤く染まっていた足が、時を速くしたかのように、皮膚を再生し、あのいまわしい家の痕跡を跡形もなくしてしまった。フィニはそれをじっと見下ろしていたが、さっと手をのばしてエマニュエルの手をどけようとした。
「なんだよ」
「かゆい」
「ああ……」
とくだんそれを阻む理由もなかったので手をのけると、フィニはからだをかがめて、痩せた指で足を掻いた。伏せた瞳はまるで真剣なようすで、ひどく子供じみていた。襟の開いた衣からは、毎晩のように嬲った跡が見える。そのいびつをエマニュエルは石のような固い表情で黙って見ていた。
窓の外はとうに真っ暗になっていた。時折、木々を通りぬける風が、夜半の霊が吹く笛の音のように鳴った。ランプのだいだい色の明かりがへやの中をあたたかく照らし、すべての影が焼き色のついたバターのようである。ゆらめく影に、フィニのぼんやりと開いた唇が濡れていた。
エマニュエルはふいに彼のあごをとり、口づけた。歯列をなぞると唾液と舌のなまぬるい味がした。んく、とミルクを飲みこむような音がフィニの喉から鳴った。
「ん……っ、ぇ、ま、…?」
「…………」
エマニュエルは何も言わず、フィニのからだをベッドにそっと倒した。抵抗のない腕をひろげて、きょととした顔には恥じらいも嫌悪もない。ガキのころでさえ、頬が赤く染まっていたのに、とエマニュエルはわずかに眉を寄せた。エマニュエルが手ずから育てた子供の淫靡すらも『はんぶん』が持っていってしまったのか。
へやの明かりに映えて青い目が眠たげに細まる。
「……飯にしよう」
「はい」
その言葉を聞いて上の空の表情がほころんだ。フィニはのったりと起き上がり、エマニュエルを待った。
フィニはもうまともな食事をとらなかった。薄いパンと、それに乗せた味のないジャム、一切れのリンゴ。そういったものを、エマニュエルがあたえてようやく咀嚼した。ベッドの上に、ぽろとパンのかすが落ちる。腹のふくらみもしない食べ物を、何度か嚙み潰して、顔をそむけた。
「もういらないのか? もっと食えよ、フィニ。甘いものが好きだっただろうが、おまえは」と、エマニュエルは笑いながら言ったが、フィニは首を横に振り、口を閉ざした。
もっとよく食べる子供だった。もっとよくしゃべる子供だった。もっと反撥的で、もっと清廉な子供だった。もっと、エマニュエルだけの子供だったはずだ。いまや、その面影もない。ときどき、瞳の奥になにかひそやかなものが光るような気もしたが、それはいつだってエマニュエルの顔を映しているだけだった。いや、はじめからそういう子供だったのかもしれない。高原の湖畔のふちを走るしなやかな裸体を、もう思い出せない……。
エマニュエルは夜がひどく恋しくなった。いまではない、もっと深い夜のことだ。夜半、おそろしいほどの静けさがやってくると、ようやく彼の待ち望んでいたことが起こる。
食事を終えて、紫煙を消し、ランプの灯りに別れを告げ、あたりが闇に飲みこまれると、月あかりの青白さだけがカーテンをかいくぐってやってくるばかりになる。エマニュエルはさっさと床につき、フィニはそのとなりで、眠るということの真似事をしているだけのように目を開いたまま横たわっている。ときどき身じろぎをしたり、エマニュエルのほうに顔を向けたりしていたが、エマニュエルはそれを意に介さない。そのうちに、夜が深く濃くなってくると、それは起こる。
「み、しゅ。みしゅ……」
死びとのようなうめきからそれは始まる。喉から空気が漏れ出るような息が意味を持ち始めたとき、白い腕が植物のように宙に伸びて、ゆらゆらと揺れる。それがだんだんと墓場を歩くおぞましい死霊のかたちをとろうとしたとき、エマニュエルはそっと目を開けた。
「ミシュ、ミシュ、ミシュ、どこですかあ、ミシュ。ただいま、おそくなってごめんなさい、ミシュ……」
死霊はほどなくしてフィニ自身の胸にまとわりついた。彼は心の臓に爪を立て取り出そうとでもしているみたいに、ひどく胸を掻きむしった。エマニュエルのつけた赤いあざをミミズ腫れが白く覆う。「うう、あああ……!」と、フィニは呆けて無邪気にまぼろしの花々に泥水を浴びせていたときとはうってかわって、はっきりと苦悶の叫びをあげていた。
「俺が、俺がいれば、死ななかったのに、俺が、君によりかかっていたから……」
エマニュエルは起き上がって、フィニのからだに乗り上げた。闇がよく見える。その中を、同じいろをしたエマニュエルの腕がフィニの首元に向かって伸びた。
「…………」
「っ、ァ……!」
喘鳴にあえぐ喉をつつみこみ、そっと力をこめていけば、うめき声はただのうめき声になり、白く幽鬼のようだった顔に血が上った。頬が恥辱にさらされた娘のように艶冶に赤くなった。その瞳にあきらかな憎悪の色が燃えた。
「そうだ」と、エマニュエルはぞくぞくとして、真っ黒な表情の見えない顔で言った。笑い声だけが喉奥から響いて聞こえた。「お前が潰してしまったんだぜ、フィニ」
「……ッ、あ、が…ッ!」
いっそう力をこめると、フィニの唇からたいらになった息がヒュウヒュウとはげしく漏れた。彼の瞳はやはり憤然と彼をにらんでいた。死霊はなりをひそめ、指先まで桃色に染まった手がガリガリとエマニュエルの腕をひっかいた。おそろしい取っ組み合いのようなすがたで、しかし二人ともどこか切れてはいけない緊張の糸をかろうじて保っているようでもあった。
やがて、フィニの力が徐々に弱くなった。エマニュエルはフィニの首を抑えていた腕をゆるめ、あごを固定して涎を垂らす唇に口づけた。フィニはもう弱り切って、もはやそそるような手つきでエマニュエルの腕に触れているだけになった。
「んっ、んんっ、んぅ、うっうう」 窒息して勃ちあがった性器がゆるい貫頭衣を押し上ているのを見て、エマニュエルはフィニの唇をふさいだまま、すそから手をしのばせて強くにぎった。
「っ、ぷは、ぁああ……っ! ひ、…っ、うあ、あぐ、ぅううっ!」
エマニュエルの大きな手がしゅくしゅくと乾いたそれを扱くと、フィニの全身は悦の震えを起こした。目をぎゅっと閉ざして、刺激からのがれようとからだをさかんによじった。
「ん……ッふ、ぐぅ……♡」
まぶたに涙がにじみ始め、黒いまつ毛が束になる。エマニュエルはそれを舌ですくい、親猫が子にするように何度も舐めとった。
「あ、あ、いやっ、あ、♡でる、エマ、だめ、あっ、あぁ……!」
びくびくと性器が震え、衣の下で、エマニュエルの手の中に欲を吐き出したフィニは、幼子のようなかすかな声を出して泣きながら余韻に気をやっていた。イシュガルドの冷たい石と雪の中でも、こうして泣いていた子供がいた。それはエマニュエルの心にやっと満足を塗り広げたのだった。
頬をたたき、手を汚した精液をフィニの口元にもっていけば、まったく教えたとおりのしぐさで赤い舌がちろちろと指の股を舐める。陰茎に添える手つきのようにエマニュエルの手首を握り、首をかたむけながら指をみつめ一心に自分の精液を舌にのせては飲みこんでいる、その瞳に憎悪の光はすでにない。 風の音は鳴りやんで、青い星の無数の目が隙間から彼らをのぞき込んでいた。しんしんと鳴る雪の音が森の奥からやってくる。木の柱は石の柱になり、赤い板の床は灰色になる。精霊の声は氷雪の岩壁にとらわれ、届かない。エマニュエルはのこされた『はんぶん』に、丹念にそれらを詰めた。いびつなかたちを均すための夜が繰り返され、今夜もたがわなかった。
エマニュエルはフィニのうなじに顔をうずめて唇をおしあてた。背をやさしく撫で、しかしゆるぎのない手つきで彼をうつぶせにした。 足が少し開き、尻が上を向く。覚え、慣れた動きがエマニュエルを求めて穴を開いた。うつろに熱をもった瞳が上気した息にゆらめいていた。
指をうちがわに滑りこませる。そうしなくても、そこはすでにやわらかく、昨夜の辱めをのこしたままエマニュエルを待ちわびて奥へとうごめいた。
「フィニ――」
名を呼ぶとひくりと背がはねる。投げ出されている腕をシーツにおしつけ、エマニュエルはゆっくりとからだを重ねて、根元まで押し込んだ。
「ああっ、あ、ああぁあ……ッ!」
「フィニ」
このうえなくゆっくりと腰を引き、ふたたびゆっくりと根元まで差しこむ。とうとつに蹂躙した暴虐をうすめるように、陰茎をいったりきたりさせていると、ぐずぐずとした赤ん坊のような喘ぎが断続的になってくる。 頭をのけぞらせ、突き上げるごとにはげしく震えるからだが、エマニュエルの下で彼の全身の重みをうけてなすすべもなく押しつぶされている。エマニュエルはフィニの理解できないことばで笑った。フィニの下にはすでに二度目の滴りがあふれていた。
「ひぐ…ッ、……ぎッ♡ぅ゛ぐ……♡い、ッぅぐ♡♡」
フィニは腰を強くつかんだエマニュエルの手を引きはがそうとしているのか、悦楽を逃すための支えにしているのか、白い手を重ねて指を突き立てた。彼の後孔はこすられ続けて、小さく肉のない尻のあいだは真っ赤に染まっていた。足の先は、星のまたたきに今はない理性を取り戻そうとでもしているのか、何度も小刻みに曲がったり開いたりした。
「うあ、ぅ、うぅーー……ッ♡はぁっ、はーーッ……♡♡」
黒い髪をつかみあげると、いきおいあまって涙がぼろぼろとこぼれた。息が早くなる。それに合わせて赤黒い肉を突き立てる速度が上がった。フィニの目が見開かれ、首が気狂いのようにさかんに振られた。
「ひっ、あ、あ、あっ♡いや、あっあっ、えま、えまぁ、っ♡♡♡」
「うん?」
「いや、だ、め、だめ、だめ、ひあ♡あん、あっ、あ♡♡」
「なにがだめなんだよ。はは、っ、おまえ、やっぱり淫乱だな。それでいいんだ、フィニ」と、エマニュエルはフィニを突き上げながら彼の耳元にささやき、そして思い切り耳の先を噛んだ。「それでいいんだよ」
「ああっ、あああーーーーーッ♡♡ッ、~~~ッ♡」
エマニュエルの長大なものがフィニの狭い腹のいっとう奥をどちゅりと叩く。それだけで、フィニは甘く叫んだ。エマニュエルの脳髄をかき乱すような声がたまらなく響く。何度も達するからだは、まごうことなく、あの石の街に火照った子供のからだのはずだった。
「いやだ、やだ、いや、っ、」
「だから何が」
「いや、あぁっ、よごさ、ないで、っア、ん、俺、おれ、よごれたく、ない、みしゅ、ミシュに……」
エマニュエルの動きがぴたと止まった。しなだれて潔白の懇願のように涙を流しているフィニを見下ろし、ふ、ふと笑うような息が走る。すべてが、何もなかった。エマニュエルはまだ『はんぶん』が足りていないと、そのことだけを考えているのだった。
「黙れよ」
ひどくやさしい声音だった。くちゅりと陰茎を食む孔が、フィニのみだれた呼吸に合わせて開いたり閉じたりするのが、あまりにも間抜けで、彼の頭をそっと撫でてやる。シーツに突っ伏してはげしく上下していた呼吸がだんだんと落ち着いてくる。 汗に濡れた髪を梳き、首筋を撫で、背を弱くさする。エマニュエルの手はそのまま腰をさわり、太ももを愛撫し、そしてフィニの二の腕をつかんだ。フィニの背が弓のように反る。拍子に、ズルリと陰茎がフィニの腹のいちばん奥にはまった。ひゅっとフィニが息をのんだのもつかの間、ぼぢゅ、とおそろしい音が鳴った。
「~~~~~~~~~~っ!?♡♡」
びしゃと音を立ててなにかがフィニの性器から飛び出した。が、そんなことはエマニュエルにとってどうでもいいことだった。彼は腹の奥に何度も乱暴に肉棒をたたきつけた。フィニの首ががくがくと揺れ、全身が狂ったように痙攣した。
「ひあっ…あああああっ♡♡♡あーーーーーーーーーっ!♡♡♡♡♡♡いぐ、いっでぅ、ひぐ、っひううううぅっ♡♡♡あーーーっ、あーーーーーーっ!♡♡」
だだをこねるように髪を振り乱し、叫び続けるフィニを見て、エマニュエルは心底から愉快なきもちになった。
「ああ、お似合いだ! フィニ、てめえは昔っから男のちんぽを咥えて喘いでんのが、いっとうよく似合う」
「っちが、ああ、ああっ♡♡あんっ、あああ♡♡え、ぁ、えま、ぁあ♡ちが、おれ、おれ、ちがぁ、うう…ッ♡♡」
「あ? ちがわねえよ」
フィニがあまりの刺激から逃れようと必死に腕をひくのをあざわらい、手綱をたぐるように引き戻す。同時に、彼の腹の中に熱いものがのたうち回った。
「――……ッッ♡♡♡っ、なか、ぁああ…ッ……♡♡あ――♡」
背を反り、一瞬ふわりと浮いたかのような頭が、次にはがくりと垂れ下がった。背骨が動物のように動く。フィニの下はいろいろな液体で濡れ、水たまりができていた。
エマニュエルが陰茎を抜いてフィニを解放すると水音を立てて彼はシーツの海の中に横たわった。ごぽりと少しずつあふれ出る精液が小刻みに震えるフィニの太ももを伝わり落ちるさまは陶器のひびわれるようだった。
「だが、そうだな。おまえが俺のもとから姿をくらまし、離れたのは、たしかにまちがいだったな」と、エマニュエルは突っ伏したフィニのからだを仰向けにして、子を抱くように背を支えて腕におさめた。
フィニのからだはいまだ小さく震え、荒い息をこぼし、しなびた陰茎からは透明な液体がにじみ続けていたが、青い瞳は今日まででたいそう澄んで、底まで抜けるような色を取り戻していた。涙の奥でエマニュエルを見つめる瞳は森を見上げ、もう金色の月は映っていない。
「――お前は、俺の――」
エマニュエルが言いかけたとき、ふいにフィニのからだが不自然に揺れた。すさまじい咳がフィニを襲うやいなや、彼の口からは何度かに分けておびただしい血がほとばしった。夜の森のはずれに、その手ひどい喀血はガラスが割れるようにひびきわたった。やがて、それがもとのようになりを潜めたとき、フィニのからだはぐったりとして、腹を裂かれたような血の中でかすかな息を吐くだけになった。星明りのなかに鮮烈な赤色がひたり、まばゆいほどだった。
エマニュエルはフィニを手放しも引き寄せもしなかった。ただ、焼けるような音と、青ざめていく頬、凌辱されたからだの熱が黒い薔薇に置き換わるのを、静かな目で、最初から最後まで見た。
彼はおもむろにフィニの口にあでやかな唇を寄せ、恋人のするように深く押し当てた。口内をまさぐり、内密な愛撫をして、血をすすり、幾度にもわけて飲みほした。
「っあ、ん、ん……」
何度も繰り返しているうちに、フィニのからだに体温が宿る。分け与え、分けられているあいだに、エマニュエルの口のまわりは真っ赤に濡れた。まるで、フィニの腑を食い荒らしたのがエマニュエルだといわんばかりに、その光景は不思議に齟齬がなかった。
エマニュエルは心から、この子供がいとおしかった。そのように、彼が思っていたわけではない。彼のしぐさの節々が、だれにも気づかれないまま、血だまりの下にて窒息しているだけなのであった。
黒い髪に手を差し入れ、後ろ頭をつかみ、言い聞かせるような口調で、エマニュエルは笑った。
「お前のせいであの小娘も俺も死ぬんだ」
ぴくりとフィニの指が動いた。ように見えた。しかし、それだけだった。彼はすでに疲れ、短い眠りにつこうとしているようだった。エマニュエルはふたたび小さな唇をむさぼった。鼓動とともに血があふれてくるような気がしたのだ。
――心は持っていかれた。だが、心臓は止まるまで俺のものだ。
はりの杯にそそがれた瞳からは、涙があとからあとから光り流れていた。
わかちあおう、金の月、赤い花、あるいはそのすべてを